かくぞー(小説もな

今日の前文

映画”パッション”に見方について。(タイトル変更)
まぁ、これはいつも見ているニューズウィーク日本版(2・25号)に7Pに
わたって書かれてたことからちょっと書こうかと。
まず、撮影中からトラブル続発で、費用の問題や同じスタッフへの落雷事故
などの”悲劇”を乗り越えたこの映画が注目されないということはなかった
でしょう。

これの興行収入データが出てましたが、そりゃあ法王さんも「見るべし」と
言っちゃったわけですし、キリスト教の組織が組織だって見せに行こうとし
ている/見せている。という構図ですから、まず評価すべきは、そういう風に
もっていけたメル・ギブソンのキリスト磔刑の部分の捉え方と勉強の仕方など
の作品を作るに当たっての一番重要な部分のことを評価できるかと。
結構、この基盤が成り立ってないと、特にこういった超巨大メディアと成って
いる宗教を題材にしている場合、すごい反発や無視を食らいますしね。
だが、その基盤が自分の信条としている会派の意向に迎合したものか、それで
あればその会派の御用映画と成り下がるわけで。(ちなみに、日本において
の政府御用メディアとして成り下がってるN○Kに関しては受信料泥棒と皮
肉ってますけど)そうではなく、どれだけ無宗教の人、もしくは違う主教の
人の目を引いたのかがちょっと気になりますね。


いわゆる、私の作品を作るにあたってのスタンスは特定の集団、個人への強烈
な迎合(オマージュは除く)で作るというのは、どうも受け付けないので、そ
う言ったことになりやすい、宗教映画に関しては厳しくなってしまうのです。
でもモーゼを描いた「十戒」は映像作品としては面白かったし、一面の真実を
伝えていたと思います。


パッションを見るにあたっては(どうも見に行きたくないです。キモイのは
一番嫌い)自分の宗教観を強化、検討、考え直し、分析する場合。
また、伝説、伝記として見に行くなど、いつも「かっこいい主人公、主人公
の悲劇、美人ヒロイン、爆発、ラブシーン、勧善懲悪の逆転劇」のハリウッ
ド映画より観客の思考ルートの複数化させる作品となった事はいいかと。


で、ニューズウィークなどでいくつかの検証がありますが。いわゆる”史実”
とのいくつかの齟齬などに関して示されていました。
まず、これが誰かが自分の属している、信じている、広めたがっている思想
のために書かれたものであるというのが基本的に史実と思っています。
決して”事実”ではないと言うことです。


結局のところ、こういった特定の組織、集団への問題提起を主眼としたモノ
であっても、その史実を書いた昔の誰かの意図に沿っている。
まぁ基本的に、ですが。
絶対に”事実”を伝えられないファンタジーに近いモノであってしまうわけ
で、こういえるわけです「また伝説のページが1ページ」とね。




”パッション”関連ニュース

◇「パッション」キリストの磔刑シーンで観客も死亡 米
http://x51.org/x/04/02/2622.php
"すごい"衝撃的だそうです。まぁ、グロなんでしょうね〜写真みた限り血とかでドロドロでしたし。写真でも気持ち悪かったです。